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誰が為の偽善か
2025-12-11

その手は一体誰のために?#

私の職場には、心の病と闘いながら働いている人が数名いる。 多少の休息期間を挟みつつ、心の整理をつけながら各々労働に勤しんでいる。

その内1名の、「働く⇒休職⇒復職」という一連の流れを私は目の当たりにした。その人の気持ちの浮き沈みの一部始終といってもいいだろう。私が初めてお会いしたときにはもう手遅れの状態で、休職は免れなかった。復職後も、時折私に休職前と同じような愚痴を零したり、休んだりしている。そのような時、どういう声かけをするのがその人にとっての正解なのか私にはわからない。私が周囲に働きかけてストレス源を極力取り払ってあげればよいのか、立派な大人に対しての過干渉はやめた方がいいのか、ただ話を聞くだけでいいのか、私には分からない。「所詮職場の人なんだからそこまで気をかける義理もない」と思いつつ、「私に出してるかもしれないサインを無視してしまっているのかもしれない」と怯える自分もいる。できることなら穏やかな気持ちで働いてほしい。ただ、このように勝手に相手の心情をおもんばかること自体が、私が誰かを守ることで庇護欲を満たすだけの自己満足、偽善に基づく行為なのだろうか。

社会の体温#

昔と比較して幾分マシになったかとは思うが、そういった心の病を抱える人間に社会はそれほど優しくない。資本主義のこの世界かつ今の日本に、家族・友人以外の人間に自分のリソースを切り売りしてまで助け舟を出す人間はそれほど多くない。一応は心配する素振りを見せつつも、変なことに首突っ込んで自分の食い扶持に影響がでるのを避けたい人間は多いだろう。それは当然の防衛本能だろう。こういう人らを「偽善者たち」と糾弾するのも違う気がする。 それでも、どうにか、何かを犠牲にすることなく苦しんでいる人間を助けることはできないものだろうか。

理想と現実の乖離を埋める解を、私は今持ち合わせていない

Sleepycat

穏やかに眠りたい

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示例歌曲
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